ヒーリングの父
中西研二ものがたり
愛和道協会が行うヒーリング活動の根っこには、いうまでもなく偉大なヒーラー・中西研二の教えがあります。中西研二がどのようにヒーリングの道へ進んだのか、中西研二の一生を振り返り、愛和道の根幹であるヒーリングと、いやしの村構想に軽く触れたいと思います。
みんなに愛された少年時代
昭和23年3月2日、東京都品川区戸越公園の近くで研二(以下ケビン)は産声をあげました。
そのころの日本は敗戦で東京は焼け野原、父47歳、母42歳のときに長男が幼児でなくなったこともあり、やっと生まれた長男でした。6人姉弟で末っ子、上には5人の姉がいました。コの字型の長屋に共同の井戸と便所が各ひとつ、そんな長屋のウナギの寝床の6畳一間に6人の家族が暮らし、2人の姉は住み込みで奉公に行っていました。貧しいながらも家族、そして長屋のみんなに愛された少年時代を送ります。
月日はながれ、大学に入ると正義感に燃え、全国的に勢いを増していた学生運動へとどんどんのめり込んでいきます。
そこで体験した挫折感と罪悪感で半年間引きこもりになり、ある恩師の言葉で生きる決心をし、新聞記者として社会へ出ることになります。そこで目のあたりにする社会の構造に挫折感を味わい、今度はセールスマンの道へ!そこで持ち前の負けん気の強さと、諦めない心で、伝説的な記録を打ち出すのでした。
だがそこでまた人間関係のトラブルから、懲戒免職になり、家族に会わす顔がなく生きる気力を失って自殺を考えた時、またしても奇跡的な出会いがあり、九死に一生を得ます。
その後、約1年間を家族と離れ引きこもり生活を送るが、父が夢枕に立った時、一大決心し帰ってみると、父の葬儀が行われている手書きの案内が残されていました。そして葬儀場で家族との再会、見失っていた大切なものに気づき家族と暮らす決意をします。そして間もなく思いもよらない出来事に誘われるようにして、ヒーリングの道を歩むことになったのです。
夢で伝授されたヒーリング
ケビンがまだ普通の営業マンだった1993年。ひどい腰痛に悩まされていたケビンは、どういうわけか毎晩のように不思議な夢を見るようになりました。そして、その夢が単なる夢ではなく、“導き”であるということを実感する事件が起こります。なんと、夢に出てきたインド人の聖者が実在し、ひどかった腰痛を一瞬にして治してしまったのです。同時に、ヒーリングのやり方を教えてもらいました。これが「JOYヒーリング」の始まりです。
ヒーリングの素晴らしさを知ったケビンは、たったひとりでヒーリングの活動を始め、必要とされればどこにでも足を運び、癒しの実践をしたのです。
またもや夢の中に現れた多くの導き手により、今度は広島の長尾さんご夫妻と出会います。この出会いがヒーリング活動を広げるきっかけとなったのです。
いやしの村構想
最初は個人宅に伺って行っていたヒーリング活動は、ボランティアを買って出てくれた人たちの輪に支えられ全国に拡がっていき、次第にセミナーを開いてヒーリングを教えるようになっていきました。
ところがケビンは、人々を癒すなかで、肉体だけでなく精神的にも病んでいる方があまりにも多いことに気づき、胸を痛めました。誰もが心配事なく、大自然の中で心身ともに癒され「生きる喜び」を感じられる場所があれば……そして誰もがなんのしがらみもなく自由に出入りでき、あたたかい魂のつながりの中で、孤独を忘れることができるなら……そんな想いを強く抱くようになりました。こうした背景で生まれたのが、愛和道協会の活動の柱であるコミュニティー創り「いやしの村構想」だったのです。
そのまんまでオッケー!
1997年10月9日、初の著書『そのまんまでオッケー!』を出版。この頃には、ケビンのヒーリングを体験した人の数は、すでに2万人を超えていました。
いまでは誰もが当たり前のように「ありのまま」などといいますが、当時はまだスピリチュアルという言葉もあまり知られておらず、「~ねばならない」といった教えが根強く残っていたのです。そんな時代に「そのまんまでオッケー!」を掲げ、日本中にセンセーションを巻き起こしました。
当時、出版元で行われたセミナーへの最多参加者記録はいまもは破られておらず、半ば伝説のように語り継がれているそうです。
ケビンは、この本の中で「相手を癒すこと、すなわち自分が癒されること」と、ヒーリングの神髄である宇宙の法則を語っています。
ディクシャとの出逢い
2004年、インドの聖者シュリ・カルキ・バガヴァンより「ワンネスディクシャ」を伝授され、ヒーリング活動にディクシャが加わっていきます。ディクシャはいわば天からの恩寵のエネルギーであり、ケビンは仏教における他力と自力のように「ヒーリングとディクシャは両輪である」、と語っていました。
また、2008年の活動15周年記念に出版された『あなたは、わたし。わたしは、あなた。』は、ヒーラーたちのバイブルとして日本中のヒーラーに読まれてきました。
亡くなる直前の2021年9月末までにケビンが生涯でヒーリングを行った人数は、世界中で約23万人。ヒーリングを教えた人の数は8000人を超えました。
ヒーリングの父、ケビン
中西研二の生涯は、日本にヒーリングブームをもたらし、国や医療の救いの手が届かない人、孤独や精神的につらく、苦しむ人たちに手を差し伸べ、ともに歩んだ人生でした。
「ケビン」という愛称は先生と呼ばれたくないと、彼自らが選んだニックネーム。映画『ボディーガード』の主人公を演じたケビン・コスナーにちなんでいることは、ご存じの方も多いと思います。西洋人のイケメン俳優と自身の風貌の差異を笑いに変えて、最後まで、縁のある人を笑顔にしてきました。
その時代の必要なエネルギーを地上にもたらし、天に帰っていったケビン。日本におけるヒーリングの普及に多大なる貢献をした人物であることに、疑いの余地はありません。その意味で、日本における「ヒーリングの父」だったと言っても過言ではないでしょう。
これからも、ケビンの教えは愛和道を通して連綿と受け継がれていくのです。
中西研二の著書
宇宙の法則や真理が、とてもわかりやすく示されています。
「そのまんまでオッケー!」
「なんにも、ない。」シャンタン(宮井陸郎)氏との共著
「悟りってなあに?」
「たちどまって自分を癒す」
「あなたは、わたし。わたしは、あなた」
「ヒーラー×(微小循環)生理学研究者」森昌男氏との共著